Masuk目が覚めるとそこは、見知らぬ旅館の駐車場だった――。
「あの……ずっと寝ていてスミマセンでした。ちなみに、ここはどこなんでしょうか?」 いつの間にか体にかけられていたタオルケットをぎゅっと握りしめがらが、ほっこりした優しさを噛みしめつつ、隣にいる穂高さんの顔を見上げた。 車の目の前にそびえ立つ、豪勢な建物に思いっきり違和感を感じて顔を引きつらせている俺を、妖艶な微笑を浮かべて見つめ返す。 「済まないね。高速道路を走っている最中に急な眠気に襲われたから、途中で仮眠をとったんだよ。気がついたら結構時間が経っていたのもあり、慌ててそこら辺にある旅館に電話して、今夜の宿を確保したというワケ」 「……そう、だったんですか」 流暢な感じで語っていく穂高さんに、窺うような眼差しを飛ばしてみた。サービスエリアで一緒に撮った写真のときも、しっかりとウソをついた人なのだ。 『穂高さんっ、全部ウソだったんでしょ? 俺とイチャイチャしたいからって、ウソついたでしょ?』 「さぁ、設定ミスしただけじゃないかな。たまぁに、調子が悪くなるんだよ」 『それにしては、しっかり綺麗に撮れてますよね。まるで、タイミングを計ったみたいに』 「いやいや、スマイルシャッターの方が可愛い千秋の笑顔が、もっと綺麗に撮れたと思うのだが。残念だな、本当に」 むしろ謀られたような気がする。そのときの穂高さんの顔と今の顔が、見事にリンクしているから。ちょっとだけ目を細めながら、口元に微妙すぎる笑みを浮かべて誤魔化さずに堂々としているのが、更なる疑惑に拍車をかけた。 「夏休み時期なのに、上手いこと予約がとれて良かったと思ってね。千秋が一緒にいるとツイてるな」 シートベルトを外し、後部座席から小ぶりのカバンを掴んで軽快に俺の肩を叩いた。 「疲れただろ? 部屋に露天風呂が付いているからね。そこでゆっくり浸かって、疲れをとるといい」 (――おいおい、可笑しすぎるだろ。夏休みの週末、そんな部屋が都合よくとれるのか!?) 「穂高さんやっぱり……」 「さぁ降りて降りて。計画倒れは残念だけど、こんな旅館に泊まれるのはラッキーだよ」 追い立てるように車から降ろされるなり、腕を引っ張られながら旅館に入った。 渋い顔をした俺を連れ、颯爽とした足取りで真っ直ぐにフロントに向かうと、先に着いたばかりのお客様が、女将さんらしき人と和やかに喋っていた。 「井上様、本日は当旅館にお越しくださり、有り難うございます」 言いながらそのお客様に向かって、深く頭を下げる女将さんらしき人。 「……コイツだったのか」 ボソリと呟いた穂高さんの言葉に疑問を感じ、掴まれてる手にぎゅっと力を入れて訊ねてみる。 「何がコイツなの?」 「あ……予約するときにちょっと、ね――」 ハッとした表情を浮かべて、あからさまに顔を背けた。むぅ、アヤシイ! 「俺たちもアヤシイ客だけど、あっちの井上様も十分にアヤシそうだね」 穂高さんが顔を背けた視線の先には、仲居さんに案内されて目の前を去って行く井上様とそのお連れ様がいた。 井上様と呼ばれていた男性は見た目40代前半ってトコなのに、一緒にいる女性はどうみたって20代前半なんだよな。親子があんな仲睦まじく、腕を組むわけがない。 「予約していた、もうひとりの井上です」 俺からそっと手を離し、営業スマイル全開の穂高さんが女将さんらしき人に向かって朗らかに話しかけると、その魅惑的な笑みにやられたのか頬をぽっと紅潮させた。 ――分かるよ、この人の笑みは否応なしにドギマギさせるから。 穂高さんが宿泊者名簿に記入している最中も、うっとりとした顔して、じっと見つめているその姿に、どうしても文句を言いたくなってしまい、拳を握りしめて堪えた。 『穂高さんは俺のなんです。あまり見ないでいただけますか』 心の中で延々と唱え続けること数回、途中深呼吸をして気持ちを抑えたりもする。モテる穂高さんがけして悪いワケじゃないけど、無駄に神経が擦り切れそうだ。 「お部屋にご案内いたします、どうぞ」 その声に顔を上げると穂高さんが俺の肩に手を回して、押し進めてくれた。 「千秋……」 「……なんですか?」 ぶっきらぼうに答える俺に、どこか嬉しさを滲ませた瞳でじっと見つめながら、肩を抱き寄せた手に力を入れて体を引き寄せると、耳元にくちびるを寄せる。 間髪おかずに告げられた言葉は、不機嫌になっていた心が一気に満たされるもので――。 「ね、千秋はどう思っているんだい?」 聞かなくても分かっているくせに、わざわざ訊ねるなんて本当にイジワルな人だな。 「俺も同じです……」 「どこが同じなんだい?」 くすくす笑っている穂高さんに赤面しながら視線をあげたら、仲居さんがこちらになりますと声をかけてきた。 「ほらほら、仲居さんが説明してくれるみたいだから、ダラダラしたらダメだよ穂高さん」 「毎度のごとく、公共の場ではタイミングが悪いな」 ブツブツ文句を言う彼の背中をぐいぐい押して部屋に入らせてから、ひと通りの注意事項や食事についての説明を受ける。 「では何かございましたら、フロントにお電話くださいませ」 一礼して去って行った仲居さんを見送り、やっとふたりきりになった空間を改めて見渡してみた。和室に置かれている高そうな調度品に用意されているアメニティグッズも、某ブランド品だったり。 「……穂高さん、ここの宿泊費」 「君はそんなことを気にしなくていいから。俺がミスしたせいなんだしね」 (ミスしたせいって、そんな……) 「でもそれは俺が隣でのん気に寝ていたから、穂高さんまで眠くなったんじゃないかって思うんですけど」 眠くなったという彼のウソを事実にするならば、こう言った方が真実味が増す。ウソついてると突っ込むよりも、あえてそのウソにとことん乗っかってみようと思った。 睨むように、穂高さんの瞳を覗き込んでやる。 「参ったね。そんな顔して見つめられたんじゃ、平気な顔してウソを突き通すことができないじゃないか」 「やっぱり! どうしてウソをつくんですか穂高さんっ。高速で一緒に撮った写真のときといい、今といい……」 この人は俺自身がキズつかないようにウソをついた過去があるからこそ、他にも何か理由があれば、しれっとした顔でウソをつくんだ。 「だって千秋の喜ぶ顔が見たかったから、つい」 「だってとか、ついとか、何やってんですか、もう!」 両手で赤いシャツの胸倉をぐいっと掴み、ゆさゆさ揺さぶって俺の怒りを表したというのに、その顔はどこか嬉しげなものだった。 「そうか。千秋にはもう、俺のウソは通用しないってことなんだな」 謝りもせずに、ひょいと肩を竦める。 「というか、もうウソをつくのは止めてください。穂高さんの言ってる言葉が、信用できなくなりますから」 「ウソから出た誠で、そうなったらいいなと思ってね」 「何ですか、それ?」 「実はここに来るまでに、3つのウソをついた」 形のいい眉毛を上げて、堂々と言い放つ姿に呆れ返るしかない。困った人だな、本当に。 「えっと写真を撮るときのウソと、ここに来るのについたウソと、あとひとつは――」 彼から手を離して腕を組みながら、うんうん唸って考えてみた。 「君はそれを見ていないから、きっと分からないと思う」 「見ていないこと?」 「ん……。さっきここにきたときに書いた宿泊者名簿に、千秋の名前を『井上千秋』って書いたんだよ。これもウソになるだろう?」 あ……俺が島で咄嗟についたウソを、この人は――。 ひゅっと息を飲んで、黙ったまま穂高さんを見上げる。そんな俺をぎゅっと強く抱きしめてくれた。 「刑法には引っかからないけど、旅館業法に違反してしまうけどね」 「い、違反っ!?」 抱きしめられた体から穂高さんの熱を感じつつ告げられた言葉に驚いて、その顔をまじまじと見つめてしまった。 「ああ、千秋だけ偽名になってしまうから。この旅館で何かあったときに、名簿を紐解いて履歴を調べられたら、一発で指摘されるかな」 「そんな……」 「大丈夫だよ。軽犯罪だから大したことはないし、それに実際この罰則が使われたことはないって、知り合いの弁護士から聞いている」 ※重い罰ではないけれど仮にこの刑で処罰された場合、市町村の犯罪人名簿には掲載されないものの、検察庁の犯歴記録には「前科」として一生残るので注意です! 「こういう罪を知っているってことは、穂高さんは過去に偽名を使って、ホテルやら旅館を使ったってことですよね?」 藤田さんのお父さんの会社に勤めながら、いろいろ苦労した話を聞かせてもらっていたので、そういうことをしているのは納得済みだけど。 「やれやれ。どうして俺の痛いところばかり、見事に突くんだい?」 少しだけ困った顔して、誤魔化すように俺の頬にちゅっとキスを落とした。 「それは、その……穂高さんの過去も今も全部、知りたいって思うから――」 穂高さんの逞しい体に腕を巻きつけ、ぎゅっと抱きしめ返す。 この人の過去はウソをつくことで成り立っていたところがあるから、平気な顔をしてあれこれウソをつくけれど――ウソをつかれた相手がそのことでどれだけ悲しく思うのか、少しでもいいから分かって欲しかった。 「千秋……」 「もうウソをついて誤魔化したりしないで。俺の寿命が縮んでしまうよ。きりきり舞いするのはたくさんだ」 少しだけ背伸びをして穂高さんのくちびるに押しつけるように、自分のくちびるを重ねて舌を割り入れてあげた。 「くっ、ぅ……」 和室に響く、くちゅくちゅっという水音が俺のしている大胆な行為を、更に助長させる。 甘い声をあげた穂高さんをもっと感じさせようと、顔の角度を変えた瞬間、その行為から逃れるように離されてしまった。 「千秋、さっきから俺のことを責めてる? それとも攻めているのかい?」 「どっちもですよ。呆れまくりです」 じと目をして穂高さんを見上げたら、やっと困った顔して「ごめん」と小さな声で謝ったので、内心ホッとする。 「お詫びに背中を流してあげるよ。そこにある檜の露天風呂と最上階にある展望露天風呂、どっちに入りたい?」 俺を必死に宥めるべく頭を撫でながら訊ねられた言葉に、ニッコリ微笑んで答える。 「ここにある、檜の露天風呂!」 「かしこまりました、お客様。備え付けのタオルは――っと」 ふたりでいそいそ準備して仲良く個室の露天風呂に入ったのだけれど、残念ながらいつものようにイチャイチャして、お風呂に入れなかった。 外の景色は見晴らしのいい大海原がどどーんと展開されていて、空気も澄んでいる上に、すっごい綺麗だったのもあり、わーいと子供のようにはしゃいで騒いでしまったせいじゃなく。 「穂高さん――」 「千秋その……。タイミングが悪かったとしか、言いようがなくて。本当に済まないって思ってる。罰を受けるなら俺だけでいいのに」 ウソをついたのは俺なんだし、とブツブツ言ってる彼の顔に目がけて、両手でお湯をかけた。 「!!」 「楽しもうよ。今日みたいにこうやって、ゆっくりふたりで湯船に浸かれることができないんだからさ。穂高さんチのあのせまぁいお風呂でクロスして入るのを考えたら、長風呂だってできないし」 「折角だから俺はもうちょっと、違う楽しみ方をしたいのにね」 恨めしそうな表情で俺の腰を抱き寄せると、肩口に吸いつきながら甘噛みする。くすぐったいなぁ、もう! 「やめてってば、声が出ちゃう」 「分かってる。くそっ、ツイてないな」 計画通りにいかなかった彼には申し訳ないけど、これはこれで面白い展開だった。。普段あまり見ることのできない穂高さんの表情が貴重すぎて、思わずじっと見つめずにはいられなかった。***「すっかり遅くなりましたね。あんなに長居をしたらお客さんだった場合、たくさんお金を払わなきゃならないんでしょ?」 スマホの時計を見ながら指摘してみたら、隣にいる穂高さんが小さく笑ったのが空気に乗って伝わってきた。「ん……。長居をしてもらいつつ、ドリンクをたくさん呑んでもらわないといけないからね」「だけど長居を感じさせない話の連続で、時間があっという間でした。やっぱりすごなぁ」 感嘆の声をあげる俺を乗せた車は、どこかに向かっているらしい。行き先を訊ねても、いちいち話を逸らすものだから、諦めて違う話題を喋った。 お店で俺たちの馴れ初めを喋らされるんだろうなと、一応覚悟していたのに、ソファに座った途端に始まったのは、土下座をした俺を称賛する言葉だったり、穂高さんが働いていた当時の話など、話題が次々と変わった。 そんな異様に盛り上がってる俺たちのテーブルに、お客様からの視線がチクチク感じるので思わず見返すと、必ずと言っていいほど、とある一点に視線が集中していた。 店内が薄暗い上に、一番奥側に座っているのにも関わらず、女性客の視線を独り占めしていた、赤いシャツを着ていた穂高さん。しかもちゃっかり指名が入っているのをトイレに行く道すがら、大倉さんが断っているのを聞いてしまった。『申し訳ございません。本日彼は商談をしに来ていて――』 なぁんて言いながら断っているのに、何とかしてよってしつこく詰め寄るお客様がいた。 『なーんもしていないのに、いつもよりお客様が多いのはどうしてだ? そこにいるだけで客寄せパンダならぬ、客寄せ元ホストなんてさ。井上、超ムカつく!』 北条さんがややふざけ気味に言っていたけど、その様子は本当に心中複雑になった。彼の人気をこういう所で、改めて思い知る。カッコイイ穂高さんの恋人が、俺でいいのかなって。 そういう気持ちを悟られたくなくて、妙にはしゃいでしまった。穂高さんはそんな俺を、どんな気持ちで見ていたんだろうか。 そのときのことを思い出し、口を噤んで車窓を眺める。するとそこは、見慣れた景色が流れていた。「ここって……」「懐かしいだろ。はじめて千秋と、一緒に来た場所だね」 バイトが終わる俺を待ち伏せしていた穂高さんが、騙して連れて来た高台の中腹。エンジンを切りライトを消すと、辺りは真っ暗闇に包まれた。「さて、と」
「店長さんの名前は大倉さんっていう人で、彼氏は北条レインっていう、現在ナンバーワンの人だよ」「新旧のナンバーワンを、見ることができちゃうんだね」「大倉さんも元ホストだからね。もしかしたら千秋の心を、奪いに来るかもしれないよ?」 こんなふうにって言いながら、強引に肩を抱き寄せて、掠め取るようなキスをする。ほんのわずかな触れ合いだったけど、心臓が一気に駆け出した。「ンッ!? も、ここ外なのにっ!」「ふっ、抜かりないよ。誰もいないから」「何言ってるんですか、あそこの通りに人がいる」 外でされた接触に思わず声を荒げると、肩を竦めて呆れた表情をあからさまに浮かべる。悪びれる様子がないせいで、余計にボルテージが上がってしまった。「大丈夫だ。ここは薄暗がりだから見えない」 何だろう、違和感ありまくりだ。今日に限って、やたらと大丈夫を口にするなんて。まるで、自分に言い聞かせるみたいに聞こえる。「そんな顔をしていると、大倉さんに好かれてしまうかもしれないね。ほら、ここだよ」 大きなビルにある扉を開けたら、カランコロンという音が鳴り響き、いきなり――。「いらっしゃいませ! シャングリラに、ようこそお越しくださいました」 大きな声と共に、目の前に現れた背の高いイケメン。少しだけ茶色い髪をなびかせながら、見るからに涼やかな一重瞼を細めて、俺の顔を見つめる。 意味ありげなその視線に思わずたじろいで、後ろにいる穂高さんを見上げたら、俺の腰を抱き寄せるなり、ぐいっと中に押し込む。(うわぁ、イケメンのサンドイッチにあってるよ。前を見ても後ろを見ても、整った顔立ちの人しかいない) 持ってる雰囲気だけじゃなく、オーラっていうのかな。それが躰から漂っているせいで、何もしていないのに酔ってしまいそうだった。「店長の大倉です。こういうお店に来るのは、はじめてなのかな?」 穂高さんから引き離すように右手を掴んで引っ張られ、あっという間に大倉さんに密着させられた。いきなりの行動に目を白黒させながら振り返ると、穂高さんはその場に佇んだまま、じっとしていた。(――どうして、助けてくれないんだろう?)「あ……」 そういえば穂高さん、大倉さんの恋人にイタズラして、大層怒らせたんだっけ。そのせいで、俺を助けることができないんじゃ……。 恋人だからこそ、自分ができることはひとつ
同性の恋人と遠距離恋愛をして、1年とちょっと。離れている時間が長い分だけ、逢ったときの感動はひとしおだった。『悪いがこの日のバイトを、19時上がりにできないだろうか? 一緒に出かけたいところがある』 なんていう嬉しいメッセージが先月末にあって、恋人の穂高さんと出かける約束をした。ゆえに鮮魚コーナーのバイトに2時間半だけ働いて外に出たら、見慣れた赤い車が従業員出入り口の前を塞ぐように停められていた。運転席に座る、穂高さんと目が合う。「北海道から、ホントに来ちゃったんだ。どういう理由を使って、お休みをもぎ取ってきたんだろう?」 そんな疑問を口にしながら、ドアを開けて助手席に乗り込む。「お疲れ様、千秋」 直接聞くことのできる労いの言葉に、口元が緩んでしまう。いつもならスマホ越しで聞く言葉なので、とても嬉しい。だからこそ、気がつくことがあるんだ。「ありがとうございます。あの穂高さん、疲れてるんじゃないんですか? 声に張りがない感じがしますけど」 ぐいっと顔を寄せたらギョッとした顔で、顎を引かれてしまった。「ま、まあ長距離運転してきたし、多少の疲れはあるかもしれないね」 誤魔化す時によくする営業スマイルで俺を見つめても、騙されない自信がある!「ところでどうやって、仕事を休んできたんですか? 漁の最盛期だっていう話を、船長さんから聞いているんですけど」 北海道のとある島で漁師をしている穂高さん。彼と恋人同士なのを知っている船長さんとは、電話でよくやり取りする仲だった。「のっぴきならない事情のために、千秋の所に行ってくると伝えたのだが」(何でそれであっさりと休みが取れちゃうんだよ、呆れた……)「どうせ穂高さんのことだから気を取られて、ドジばかりしていたんでしょうね」「どうして分かったんだい?」「えっ!!」 まったく、困った人だな。だからお休みを戴けたんだ、納得!「千秋は俺のことを、本当によく理解しているね。嬉しく思うよ」 呆れ果てて固まる俺を尻目に、ニッコリとほほ笑みながら、アクセルを踏み込んで車を出す。「……あの、どこに向かうんでしょうか?」「メンズキャバクラ、シャングリラ。俺の元職場なんだが」 むー、ホストクラブとメンズキャバクラって、何が違うんだろ? 女性客を相手にするのは、何となくわかる感じだけどな。「そこの店長さんの恋
「穂高さん、あの……」「わかってる。今の君の血を吸っても、無意味なものになるね。だが――」 柔らかい唇が俺の肌を甘噛みした。牙が当たらないように何度も噛む、優しいその行為に、自然と息があがってしまう。「大好きな君を愛したい。愛させてくれ千秋」 穂高さんの低い声色を聞いただけで、どうにかなってしまいそうだった。「ここに来てくれて、すごく嬉しいです」「つらいときは、遠慮なく呼んでほしい。能力を使って、すぐに飛んでいくよ」「お仕事、忙しいのに……」 感じて掠れてしまった俺の言葉を聞いて、穂高さんがやっと顔をあげる。見下ろしてくる視線は、とても優しさを感じさせるものだった。「確かに仕事は忙しいが、数日間俺がいなくても支障はない。それに仕事には労働者の代えがきくが、千秋はこの世にひとりしかいない、俺のとって大切な存在だ。かけがえのない君が、ここで苦しんでいるのが分かっているというのに、傍に駆けつけない恋人がいると思うかい?」「それは、そのぅ」「しかもその原因を作ったのは、この俺だ。今度からは、遠慮せずに言ってほしい。つらいって、傍に来てくれって。お願いだから、もっと我儘を言ってくれ」 切々と語った穂高さんは、俺をぎゅっと抱きしめた。息苦しさすら感じさせる抱擁なのに、今の自分にはそれすら、心地よく感じさせるもので――。「穂高さん、俺ね……」「ん?」「貴方にこうして愛されるだけで、涙が出そうになる。嬉しくて、どうにかなってしまいそうなんですよ」 さきほどまで感じていた吸血衝動が、みるみるうちになくなっていくのを感じた。あれだけ喉の奥が干上がっていたのに、今は何かで満たされている。「千秋、人間の姿に……」「戻ってるみたいですね。穂高さんの想いを躰全部で感じていたら、自然と苦しさがなくなっていきました」 穂高さんの大きな背中に腕を回して、同じように抱きしめ返してみる。すると肺の全部を使ったような、深いため息をひとつついてから「よかった」と低い声で呟いた。「きっと穂高さんの血で吸血鬼になったから、穂高さんの優しさで治まってしまうのかもしれませんね」「だったらますます、俺が駆けつけなければならないね。まいった……」 俺のオデコにこつんと自身のオデコをぶつけて、困ったように笑う大好きな顔が目の前にある。薄暗がりだし、近すぎて焦点が合わなくてよく
「なんていうか……。穂高さんが傍にいてくれるだけで、つらいのがなくなる気がします」 視線を逸らしながら、思っていたことを口にする。下半身の事情で焦っているせいか、さっきまでつらかった吸血衝動が、多少なりとも緩和されていた。「千秋は我慢強いね。俺も見習わなくてはいけないな」 カーテンの隙間から入り込む僅かな月明かりが、穂高さんを照らした。俺の顔をじっと見つめながら、印象的な瞳を意味深に細める表情を目の当たりにして、胸がきゅっとしなる。 それと同時に、栗色の髪も月明かりの加減で金髪に見えるせいで、ヴァンパイアの姿をした彼に激しく抱かれたことを思い出してしまった。「穂高さん……」 妙に掠れた自分の声が、部屋の中に響く。どことなく誘っているようなそれを聞いた途端に、目の前にある形のいい口角の端が上がった。 意味ありげな穂高さんの微笑に、何度も目を瞬かせるしかない。こんなふうに微笑まれる意味が、さっぱり思いつかないからだった。「なぁ千秋、布団の上から抱きしめた時点で君が勃っていることに、ちゃっかり気がついていたんだが――」「えっ!?」「素知らぬふりして、そのままやり過ごせるほど、できた男じゃないんでね」 穂高さんの言葉に驚いて、布団を握りしめていた力が呆気なく抜けてしまった。見ていてそれが分かったのか、次の瞬間には勢いよく布団が剥ぎ取られてしまう。 外気にさらされた躰は、ぬくもりが瞬く間に消え去り、厚手のパジャマを着ていても背筋がぞくっとした。ヴァンパイアの状態でいるときは体温が低いので、寒さが余計に堪える。「君の体温をできるだけ奪わないように、あたためてあげる。こうして――」 手にした布団を自分に背中に被せるなり、俺に跨ってきた穂高さん。そのままゆっくりと包み込むように、躰の上に倒れてきた。「あったかい……」 冷えた躰に、穂高さんの体温がとても心地よかった。俺の頬にオデコをすりりと擦りつけてから、首筋にキスを落とす。「千秋がヴァンパイアだというのに、君の香りを嗅ぐだけで、いつものように吸血したくなる」「えっ?」 いつも俺を吸血するときに噛む場所に、穂高さんの牙の側面が当たって、彼が変身したことが分かった。
「君の血が欲しくて来たんじゃない。吸血衝動のつらさを知っているから、少しでも楽になればと思ってね」 まったく触れていないというのに、俺の目を惹きつけずにはいられない穂高さんの姿を見ただけで、下半身のカタチが変わってしまったということが、ものすごく恥ずかしい。 彼はひとえに俺を想って、遠い場所からこうして、わざわざ来てくれたというのに――。 それを知られないようにすべく、両腕で布団を引っ張った。妙な振動を与えないために、躰を緊張させて強張らせる。「千秋、相当つらそうだね。呼吸もかなり荒くなってる」「ええっ、えっと布団の中にずっと引きこもっていたから、酸素が足りなくなっているのかもしれないです。……多分」 首から下は完全に布団の中に入ってる。穂高さんに布団を剥ぎ取られなければ、俺が勃っていることは知られない。「ヴァンパイアの姿でいるのは、寒くないかい? 俺が布団の中に入って、抱きしめながら温めてあげよう」 布団の上から抱きしめていた俺の躰を放し、立ち上がって両目を閉じた穂高さんは、次の瞬間には人間の姿に代わっていた。「だだだ、大丈夫ですよ。しばらく布団の中に入っていたので、そこまで寒くはありません。本当に!」「俺はもともと体温の低い男だから、もしかしたら千秋の熱を奪ってしまうかもしれないね。それが分かっているから、そんなことを言って断っているんだろう?」 眉間に皺を寄せた顔を近づけて、「他にできることがあるだろうか」なんて言われたら、断ることなんてできやしない。